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過剰とは?

[ 40] 過剰な人々
[引用サイト]  http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/3970/nikki.html

あまりに衝撃的すぎてこの日記に書けない。書く勇気もない(だいたい公開されてる日記なんてしごく無難なことしか書けないものなんですよ。そのうち機会があったら小説教室の二次会で話すから聞いてください←関係者各位)。
ともかく、私は自分の視野の狭さを痛感した上、小説で名を売った上で食べていくのがいかに大変なことかを思い知ったのである。
そういうことはよくあることだし、普段小説を書く上でも心得ていなければならないことなのだけれども、いろいろ知らない場所に行ってみると「まさかこんなことが!?」と思うようなことが案外たくさんあるものだ。
と言いたいところなのだが、そう言い切るには私はあまりにスコッチの種類を知らな過ぎる。いつも飲んでいる売れ筋なマッカランとかじゃなく、私は私だけのスコッチウイスキーが欲しい。
中に入ると、そこは入り口だけでなく、内装もかなり古びたBarという感じがおしゃれ。酒瓶がいっぱい並んだ木のカウンターもあった。
「ちょっと理由があってどうしてもスコッチのことを知りたいので、数種類飲ませてくれませんか。ついでに基礎知識も教えてください。ほんと、なんにも知らないんで」
「じゃーまずシングルモルトウイスキーからいきましょうか。これがGLANFIDDICH、これがRAPHRIAIG、これはKNOCKANDO・・・・・・」
小さなグラスで30mlずついただく。GLANFIDDICHは甘めのとっつきやすい味わい、KNOCKANDOはものすごくそっけなくて愛嬌も何もあったもんじゃない。
「こんなウイスキー飲んだことないです」と言うとバーテンダーさんは笑って「そうでしょう。最初は変わってるなと思いつつも、結果的にそれにハマる人、案外多いんですよ」
確かあれは大藪春彦氏の「野獣死すべし」を読んだあとに「そんなまさか!」と大笑いしたあげく「現実の男ってこんなカンジでは? 絶対こうだよね!」とか思いつつ書いたものである。
よって全編通じて男が残酷なまでにボロクソ扱いとなっている。つまり(一般的に)主人公がかっこいいハードボイルドの真逆を行っている。男ってかわいそうよね女の指示を忠実に聞くくらいしか脳がなくて。下手な反骨精神なんて持たずにせいぜいおとなしくワンとお言い。という感じか。
別に刃向かわなくたって、思うように動いていただく方法はいくらでもあるじゃいりませんか。褒めるとかおだてるとか。だからついつい・・・・・・ね。ほほほほほ・・・・・。
たとえばチーズケーキなら赤ワインと一緒にいただくし、苺ショートなどのフルーツのせケーキなら白ワイン、フルーツそのものならシャンパン、マロンケーキならブランデー、そしてチョコレートケーキにはスコッチウイスキーである。
甘いものは案外酒に合う。なのになぜみんな甘いものも酒も好きだというと変態扱いをするのか。たぶん「日本酒で大福」とかいう組み合わせを想定するからではないか。あれはさすがに合わないと私も思うのだが。
そもそも和菓子というのが難しい。強いて言えば蕎麦焼酎あたりには合うかもしれないが、やったことがないので今度試してみよう。
新潟人の私はわびしい酒も好きである。蕎麦をつまみに延々と酒。漬物をつまみに延々と酒。握り飯(ただし新潟コシヒカリの新米に限る)を片手に延々と酒。
窓の外にはちらつく雪。凍える外気。見渡す限り田んぼ以外何もないところで、遠くの線路の響きを感じつつ「ここには酒を飲む以外なんの楽しみもないんだなぁ」とつぶやきつつ、また酒を飲む。気が付くと一升瓶が空いている。
11.5(日)白角のソーダ割り(レモン入り) 近頃いろいろと用があって出られなかったのだが、昨夜は久々に小説教室の二次会に出た。
なにせ久々なものだから、できるだけたくさんの人と話をしようとばかりに、グラスを持ったままいろいろなところを回ってみる。
するとみんなすごい話をしている。前立腺とか射精とかマルガリータとか虐げられたいとか、そういう話がバンバン飛んでいる。人間って深いなぁと感心するばかり。
わかりやすく言えば「変態」なのだが(身も蓋もない 笑)、よくもまあそんな事象で欲情できるもんだ(男ってすごいな)とびっくりしたり悲しくなったり。
普段職場じゃこんな話はできないので、遠慮なく聞かせていただいた。ありがとうみなさん(深々とおじぎ)。 帰宅は午前様。家族はすでに皆寝ていたので、仕方なく一人ザ・マッカランの封を開けようとする。が、急にソーダ割りが飲みたくなったので、予定を変更して白角をグラスに注いでレモンを絞ってソーダを注ぐ。
柿の種(新潟人なので浪花屋の柿の種を常備しているのは基本中の基本である)をつまみに、ひとりベランダに出て白角のソーダ割りを飲む。
亡くなった父は酒が好きだった。そして車の運転も好きだった。けれども両方いっぺんにやったものだから、ある日電柱にぶつかって死んでしまった。
でも、酔っ払い運転で死んだのが四十年近く前でよかったのかもしれない。今だったら非難ごうごうだ。ましてや自損じゃなくて人を轢いたとなれば、自身の命はあっても世間から抹殺されるも同然になるだろう。
パパ、パパ、なんで死んじゃったの(それはお酒を飲みすぎたからだよ)。と思い続けてきたけれど、そんなことを言っている間に、すでに親が亡くなっていてもおかしくない年齢になってしまった。
ゆうべは飲みすぎた。なにせ知らないうちにいつの間にか潰れていた。自宅でよかった。どこかの店だったら大変なことだ。
キッチンに降りると「酔心」一升瓶が半分ほど無くなっていた。封を開けていなかったはずのスコッチウイスキーのボトルの中身も1/4ほど消えている(ちなみに700mlではなく1L瓶)。なんでこんなに飲んだんだ。と、昨夜のはじけぶりがよくわかる状況証拠。後半ほとんど覚えてないけど。
だからしばらく家飲みするとすぐ調子に乗って外でも同じように飲んでしまうのだが、外では家飲みの半分程度しか飲んでいないにも関わらず、翌日は決まって二日酔いである。やはり飲食店の酒は質が悪いに違いない。もっとも利益を出すためには仕方のないことなのかもしれないが。
昨日あんなに苦しんでようやく書き上げたばかりなのに、今度は酒をテーマにした何かを書こうなどと考えて書きはじめるのだが、果たして世の中の人間のどれほどが酒に関する正しい認識と愛を持っているものかと考えるうちになんだかバカらしくなり、途中で全部消してしまう。
今回は本当に苦しかった。なにせ下書き時点で三作も書いたのに、改めて読んでみるとどれも面白くなくて、すべて自分でボツにしたのだ。
それでも期日は迫ってくるし他にもやらなきゃならないことはあるし、会社の仕事はむちゃくちゃ忙しいし家でも面倒な事件は起きるしで「自分、今度こそダメかぁ?」と絶望したものだ。
だが、私が小説を書いていることを知っている知り合いに「三連休で書く? そりゃ無理だな。この連休は天気もいいぞー。三日間とも家にこもれるもんか。ははははは」と笑われたら俄然やる気に。
書き上げた後、その知り合いに「書けたよーん」とメールしようかと思ったがやめた。そんな暇はない。書き上げたからには、私は酒を飲まなくてはならないのだ。
絵描きっていいな。そんなに酒飲んでも絵が描けるんだ。私なんて創作中はほぼ禁酒状態だよ。酒飲んじゃうと、ろくなものが書けないんだよ。それとも横山大観は天才だから、そんなこと関係ないのかな。だとしたら私はまだまだだな。
トップバッターはなんとこの私。始まる前日は「ま、書いちゃったものに関して今更考え込んでも仕方ないし」とお気楽なものだったのだが、当日の時間直前になったら手は冷たくなるわ身体はカチコチになるわで完全緊張状態に。
と自分で自分を笑って緊張をほぐそうとしたものの、うまくいかず。だが考えてみたら緊張するのも当たり前の話なのだ。私の作品を巨匠が読んで評してくださる。こんな事態は数年前の私は想像もしていなかったに違いない。
そんなぐにゃぐにゃ状態のまま二次会へ行き、先生といろいろとお話させていただいたのだが、なにぶんにも呆けていたためどうもピントはずれなことしか言えなかった。
おめでとうございます。私もその世界にもうすぐ逝きますゆえ(笑)、いつまでも若々しいキレイなママでいてねん♪
「私は仕事がしたいのに、育児のためには周囲も仕事を辞めろというし主人も俺の収入で暮らしていけるんだから仕事なんかしなくてもいいという」
「これじゃー見るからに程度の低い(と思われる)亭主からさらにコケにされても仕方ないな」とも思ったわけで。
結局、周囲の意見でしか自分のことを決められないもんだから、いざ自分が不利な立場になってしまうとそれもぜーんぶ周囲のせいにしてしまうのだろう。
全部自分で決めて自分で責任取ればいいじゃん。その勇気がないのなら甘んじているしか方法はあるまいに。
結局似たもの同士でくっつきあって、互いの傷や自慢話に同調しつつ「今の自分が安心」と思うのが無難な生き方なのかもしれないのだけれど。
住居費はたしかにべらぼうと言われるほどに高い(何せ物価水準が世界第一位)けれど、車を維持していく費用とか面倒とか税金とか、何よりも人を轢き殺すかもしれないリスクから逃れられることをを考えれば破格に安いものである。
(余談だが、それでも私の住む地域の人達は車を所有している人が大半である。週に一回以下くらいしか使うことのない贅沢品に年間何十万円も費やすなんてすごすぎる。それで家ではビールではなく発泡酒だか雑種だかを冷凍枝豆つまみで飲んでいるんだから泣ける話である。人はくだらない見栄のためにそこまで出来るらしいという愚かな俗物話でもある)
トラックとかタクシーとかの運転系は最初から除外である。あの手の仕事をしていれば当然酒は飲めないだろうと思ったからだ。
同じ理由で、医療系も選択しなかった。私自身が酒飲みの医者や看護婦に自分の身体を任せたくはないからだ。
私は身分証明のために免許証は持っているが、車は所有していない。今後も所有する予定はなく、これからもハンドルを握る気は一切ない。
私は酒という趣味を愛し続けるために、運転を捨てた。酒を楽しむ生活を守るために、人よりも余計にリスクを背負っているのだ。
「車も運転したい」「でも酒も飲みたい」なんて無茶である。そういう人間は車の運転以前に、酒そのものをバカにしている。酒は本来人に迷惑をかけずに楽しむ上等な趣味なのである。酔っ払いの無礼講なんて品のないことが許されるのはニッポンだけである(酔っ払いサラリーマンは恥を知れ)。
だいたい嫌なことがあって憂さを晴らしたいとか、泥酔して現実を忘れたいなんて甘ったれたヤツらに酒を飲む資格などない。嫌なことくらい酒無しで解決してみろ。現実なんて一時的に忘れたって消えて無くなるわけじゃない。そんなことしているから消費者金融の借金がかさむのだ。ましてや酒飲んで運転するなんて論外である。最初から殺す気と思われても仕方ないではないか。
車を運転したいなら酒をあきらめろ。いや、それ以前に、酒を飲む習慣のある人間には免許証を出すな。ましてや職業としてのドライバーなんかやらせるな。そういうのは面接で全部落とせ。
その後の弔辞でも泣きそうになったけれど、特に泣いてしまったのは奥様である津村節子さんのお話だった。
吉村さんはまず舌ガンが見つかり、その放射線治療を続けてガンがようやく小さくなった頃に、今度はすい臓にガンが見つかったのだという。
そのガンも取り去って身体にはなんの異物も無くなったはずなのに、その後はどんどん具合が悪くなり、ついには胸の部分から血管にカテーテルを差し込んで二十四時間体制で点滴をするようになる。
奥様もそれをお医者様に伝え、退院が決まり、吉村さんは点滴を身体に繋いだまま、家へ帰ったのだという。
けれどもそれからしばらくすると、吉村さんは胸に挿してあったカテーテルを自らの手でねじり取ってしまったのだという。
奥様も泣きながらお話されていた。あの人の気持ちもわかるけれど、そんな場面を見せられた私たち家族はどうなる。最後まで本当に自分勝手で、皆さんに迷惑ばかりかけて。と、涙を流しながらお話する姿に、確かに最期は吉村さんらしいエピソードだけれど、ご家族は本当に大変だったのだ。と、月並みすぎるけれどそんな感想を持った。
スコッチの水割りと鴨のローストをいただきながら、自分はこんなに悲しいのにどうして水割りも鴨もこんなに美味しいんだろうと、またうるうると涙が出てきた。
けれども故人はお酒が好きな方だったので、やはりこういう席では美味しくいただいたほうがいいのだろうなどということを考えつつ、天国の吉村さんにお別れをした。
吉村氏はもっとも尊敬する作家のひとりである。何度も何度も読み返したくなる氏の著作はどの本もボロボロになるまで読んでいるし、度重なる黒部旅行のきっかけになった高熱隧道に至ってはあまりにも持ち歩くものだから、新しいのをもう一冊買って家に置いてあるくらいだ。
私は氏の謙虚かつ真面目な創作姿勢も大好きで、氏のエッセイにある創作方法をそのまま真似して実践しているほどである。小説を書いていれば、いつの日かお会いできる機会がきっとあるかもしれないないと思っていたのに。
おそらくこの手のニュースを見たときに、不安定な雇用にさらされていない人達は「自分達のようにきちんとやってきた人間には無縁の話(他人に対する不公平さはできれば見なかったことにしたい)」と思うだろうし、不安定な雇用にさらされている人は「自分達には実力がないのだから仕方ない(自分に対する不公平さを自覚するのは辛いから見なかったことにしたい)」と思うことだろう。
だが、このような不安定雇用の出現したそもそもの原因は、企業側が自分達に「だけ」都合のいい労働力を欲しがり、それを実現する組織ができたからに過ぎず、個人の能力うんぬんとはそもそもの問題が違う。むしろ、企業側の策略として不安定雇用する個人にそのような感情を抱かせたい というのが本当のところだ。感情の相乗効果として結果的に「猿轡をはめさせ」て黙らせているのだ。
つまり、「無縁な話」と思う人も「仕方がない」と思う人も、不安定雇用から作り出された策略にはまっているのに過ぎない。
そして自らが策略にはまっているという自覚も無いまま、それを心の底から当然のように考えていることそのものが、見ていて非常に痛々しくてやりきれないのである。
現在の社会は個人のみならず、法人でさえも「自分のところさえ良ければ後はどうでもいい」という考えなのだ。
そういった考えのもとに、外部組織から受け入れた労働者を低賃金で、安全責任もあいまいなまま使い、要らなくなったら簡単にクビを切れる好都合な仕組みの元に「労働力の使い捨て」をする。
特に最後にある請負会社幹部のセリフ「一生こんな賃金で使われ続ける彼らの将来は大丈夫かねえ。我々にとってはありがたい存在だけど……」には猛烈な怒りを覚える。
心配している心境さえ口にすれば、自分のやっていることが免罪されるとでも思っているのだろうか。人としてどうかしてるとしか思えない。ちっとも役に立たない厚生労働省もしかりである。のんきにアンケートなど取ってる場合ではない。
「人として変」なやつらというのは私らの世代でもすでにいたのだけれど、私らよりも下の世代はそれに輪をかけて変なヤツが多いように見える(のはいつの世も同じことなのか?)。
一言で言えば恐ろしいまでに「行き当たりばったりで自己中心的」。自分さえ良ければ他はどうでもよくて、物事に対する計画性がまるでない。会社で仕事をしていても、自分と同年代もしくは下の人間からそういう発言を真顔でされたり計画性の無さに対する言い訳を聞いたりしてあきれかえることはたびたびある。
ということだ。 感性や勘だけでなんの計画性もなく生きていたいなら結婚しなければいい。自分に言い訳ばかりして寂しいだの老後が心配だのごたくを並べる権利などお前らにはない。甘えるのもいいかげんにしやがれ。一生一人で気楽に生きてろ。あ、それからせめて税金くらいは払え。 (ハァハァハァ・・・・・・) しかし本当に不思議に思う。それなりの責任も果たさずに結果だけ欲しがる人間が、どうしてここまで増えたのだろう。
なあんて。こんなコメントを素で言えるほど皮肉屋ではない。だが、言ってみたい。 会社の帰り、オフィスを出たら、うわさの二人(中年で頭の薄い役職者とその部下の若くて派手な女子社員)が仲良く話しながらエレベータを待っていた。
「そんなの堂々と歩いていって『あーらお二人さん。今日も仲がよろしいこと』ぐらい言ってやればいいのに」
自分よりもうんと若い男性(中年にもたまにいる)がいかにもわかったような口をきいているときにいろいろと
「えらそうな能書きばっかりたれてる洟垂れのクソガキが。言う前におのれがそれを実行してみやがれ出来もしないくせに」
頭の悪い人(特に男)は相手にしたくないというのもあるが、多弁すぎる男というのはたいていの場合そのしゃべりによって墓穴を掘って自爆するものなので、あえて自分が面倒くさい役回りを演じなくてもいいだろうという怠慢な気持ちもある。
いいかげん嫌になる。なのになぜ私は顔や態度に出ないのだろう。 ・・・・・・って、それはね。長年仕事をしているうちに、社会性として身についてしまったからなんだよ。 と、私の耳の横で小さな妖精がささやいている。
それと同時に今日会社で話したことを思い出した。 小説を書き始めてからというもの、なぜか会社での仕事のほうもとても順調で、けれどもだからといってそこに骨を埋める気にもなるわけでもなく。
決意さえすれば安定した生活が待っているというのに、なぜそこに行けないかというと、それはそこがどうもまやかしの世界のような気がしているからではないかと思う。
結局のところ「これでいいんだ」と自分をごまかすのは一時的には出来ても、死ぬまでそれで押し通すことは不可能だ。
そんなことを考えずにいられる性格だったら、与えられるものをただ嬉しいと言って抱きしめられるような性格だったら、どんなに生きるのが楽だったことか。
学生の頃はお世辞にも勉強好きとは言えなかった私だが、社会人になってからは必要性もあってか、大変な勉強好きとなった。
(学生の頃も試験対策等の必要性といえるようなものはあったことはあったのだが、私にとっては真の必要性としての刺激に幾分足りなかったようである)
仕事の合間を縫っていろいろと勉強して吸収するたびに感動を覚えるとともに、「ヒマだった学生の頃ならもっともっと勉強できたはずなのに」と後悔することしきりでもある。
だが後悔先に立たず。今やれることは今やるしかないと思いつつ、毎日せっせと読んでは書きとめ、覚えては理解し、展開しては理論を突き詰め・・・・・・と飽きもせずに繰り返している。
さて。私の子供達は現在小学三年生なのだが、そろそろ勉強内容がきつくなってきて嫌気が差しているらしい。
私にも覚えがあるので気持ちはわかる。おそらく彼女達もやはり、勉強の必要性というものがわかっていないのだろう。
となると、生きるために、あるいは実質的に、今やっている勉強がどの程度必要なのか、具体的にはそれを覚えておくとどんな面で自分が得をするのか、という動機付けをするのがもっともいい方法なのではないかと思った私は、娘達に言う。
「試験なんかどうでもいいのよ。学校の評価もどうでもいい。要は楽しめることが大切なんだよ勉強って。せっかく小学生やってるんだから、勉強楽しまないともったいないよ」
彼女達は目を輝かせて聞いているが、実は私が一番楽しんでいる。話は横道にそれまくりで、本人達はその横道にそれた話のほうをよく覚えているのだが、実はそれらは中学や高校の授業で教わる高度な内容でもある。その芽が何年も後にどのように開花するか、今から楽しみだ。
褒められてちょっと涙。というのも、入ったころの私はといえばもうほんとうにボロボロに下手くそで「ここは本当に厳しいなぁ」と思い、いつか先生に褒めてもらえるような作品を書くのがまず第一の夢だったのである。
「そこは君の悪いところだ」と言われているのにも関わらず、言葉の上では「はい。そうですね」と認めるフリをしておきながら意識の上では決してそれを認めていないということだから。
周りから、バカだ無謀だそんなのできっこないと言われれば言われるほど、やってみなければわからないと思ってしまうのだ。 
なぜって顔に書いてある。私を見つめるまなざしは、いつもどう見ても「あなたが好きなんです」と熱く叫んではばからない。
受け止めたところでどうにもならない。何がどうなるわけでもない。 そんなあの人が、結婚して遠い土地へと行くことになった。
けれども私たちはそれを心にしまいこんだまま、それでも離れがたくてグラスを重ねてどうでもいいようなことを話していた。 「もう帰ろうね」「そうですね」
頬と頬を合わせた瞬間、あの人の長いまつげが額に触れて、周りの音が聞こえなくなった。かすかに香水のにおいがした。

 

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